2009-07-23

“Gone Too Soon”

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MICHAELの死がきっかけで、彼の作品をまとめて沢山買ったのですが、
その中のアルバム「DANGEROUS」に、美しいメロディーで…だけど、まるで自分の人生を予言したかのような、悲しい歌がありました。






夕暮れの空を染めていく流星のように  あまりにも早く去ってしまった



一瞬にして消えてしまった虹のように  あまりにも早く去ってしまった



火花のように素晴らしく明るく  ある日やってきて  ある晩去っていった



曇った午後に失われた日光のように  あまりにも早く去ってしまった



砂浜に建てられた城のように  あまりにも早く去ってしまった



手の届かない完璧な花のように  あまりにも早く去ってしまった



人を楽しませ  元気づけ  喜ばせるために生まれ  ある日やってきて  ある晩去っていった



月の出と共に終わる日没のように  あまりにも早く去ってしまった

あまりにも早く去ってしまった



                                    (“Gone Too Soon”和訳より)




買って一番最初に聴いたアルバムの中にこの曲を見つけた時は、ドキンとしました…。
MICHAELは、何を思いながらこの詞を書いたんだろう…。知っている誰かの事を歌ったのか、それとも、自分の生き方を予感して書いたものなのか。

天国での彼は、たくさんの重荷をおろして、今度こそ本当に、心安らかになれたでしょうか。
そうであることを、心から祈らずにはいられません。

それにしても、これほど多くの人に愛され、リスペクトされ、死を惜しまれたアーティストは、他にはいないのではないでしょうか…?人徳とは、そういうものだと思います。
たった今も、世界中の国々で、いたるところで、きっと多くの人々が、実現しなかった最後のコンサートの代わりに彼のレコードやCDを聴きながら、彼の冥福を祈っていることでしょう。

※後で知ったのですが、この曲は、当時エイズに感染していた少年にMICHAELが捧げた歌だったんですね…。その少年は、結局、19歳で帰らぬ人となってしまったのだとか…。
天国で、MICHAELと笑顔で再会できていますように。

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2009-07-20

空に帰った天使

MICHAEL JACKSON。世界でこの人の名を知らない人はいないのではないかというくらい、有名なエンターテイナーが、先月突然世を去ってしまいました。

私は彼について、JACKSON5時代の天才的な歌唱力とダンス、生まれ育った過酷な環境や、無罪を勝ち取るまでの長い裁判、人を信じられず孤独感を抱えていたという側面…についてしか知らず、肝心の彼の精魂込めた作品に、意識して触れた事がほとんどなかったため、亡くなってから連日TVで流れる音楽やダンスパフォーマンスでやっと彼のアーティストとしての活動を目に、耳にすることになりました。そこで、「えっ!!あの曲もこの曲も、彼の作品だったの!!」という、今さらながら、驚きの連続でした。(大体名作「THRILLER」すら知らなかったんですからsweat02つくづく自分が嘆かわしい…。)

そのあまりの才能、あまりの存在の大きさを、やっと頭でなく体で理解した私は、言葉を失うほどのショックを受け…、以来私の頭の中はまるでMICHAEL一色に塗り替えられてしまったかのようになっています。

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生まれもった容姿のよさ(整形を除いても)…キレのある独特のダンスパフォーマンス…人の心をとらえて放さない、透明な歌声…抜群の歌唱力。変幻自在の魔法使いのような超一級エンターテイナー。
それだけでなく、彼は地道な活動を長年にわたって行ってきた人道・博愛主義者であり、ベジタリアンでもあったのですね。
itachizmさんから教えていただいたこのサイトでは、マイケルの子供のような無邪気さと、純粋で愛のあふれる魂に触れられます。涙なしには読めませんでした。

あまりに名前が知れ渡っていたにも関わらず、私はなんと惜しい事をしたのか、と悔やまれます。生きているうちに、生でコンサートを観てみたかった。

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2009-06-12

NAGAHAMA

長浜に行ってきました。

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私はうつわがとっても好きで、結婚する前から自分の働いて得たお金で、こつこつ器を買い集めていました。といっても微々たる量ですが…。

結婚してからではなかなか買い集められないものですから、集めておいてよかったと思っています。それでも若いうちの買い物だったので、好きなものを思い思いに集めた結果、まとまりに欠けてしまうという失敗?を経験。いい年になった今、また少しずつでも、計画的に、うつわを集めていきたいなと、夫と話しています。

今回は、仕事の事を少しでも忘れたい!!とまたダダをこねる夫につきあって(というか、行き先はいつも私が決めますがw)長浜のとあるギャラリーに行ってきました。

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京都には、私好みのうつわを扱うところがほとんどないので残念なのですが、近郊の滋賀や三重、岐阜などには、窯元やギャラリーが点在し、足を延ばせば直にうつわを手に取って選ぶ事が出来ます。

昔関西に「出戻って」きた時には、東京のギャラリーに足を運べなくなることを悲しく思ったものですが、意外と関西圏には窯元やギャラリーが多いんですよね♪

この長浜の「季の雲」さんでは、赤木明登さん、黒田泰蔵さん、安藤雅信さん、三谷龍二さんなど、素敵な作家さんの作品を多く取り扱っておられます。

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初めて買った、木製のうつわ。

木製のうつわ(表面の塗装なし)というのは、扱いづらそうに思えますが、まったくそんなことはないのだそうです。

新しく使い始める時に、まずオイル(サラダ油でもオリーブオイルでも)を表面に塗って拭くだけ。あとは汚れたら普通に食器用洗剤とスポンジで洗い、乾かし、次からは普通に使うだけでいいとか。表面が乾燥してかさかさしてきたと思った時だけ、またオイルを塗って拭けばよいのだそうです。

油物のお料理も、避けるどころか逆にどんどん載せてほしいというお話でした。

さて、求めたお皿の作家の名は「杉村徹」さん。こちらのギャラリーで初めて出会いました。

先日の奈良・くるみの木で夫が気に入った「三谷龍二」さんの木の器と、よく似ています。三谷さんの方が、さらに柔らかい作風に感じるかな?ちなみに上のモノクロ写真の棚も、この杉村さんの作品です。素敵です。。。

木の器を作るのは大変。。。機械と手で形をひとつずつ丁寧に作っていきますが、土と違って木屑が大量に出るそうで、もういいだろうと思ってもまだまだ削り足りないものなのだとか。しかし削りすぎると修正がきかないというところが難しそうです。

私のようなドジな人間には、絶対に出来ない技だ。。。木工職人になろうだなんて思わなくてよかった。。。shock

ここ「季の雲」のスタッフやオーナーは、皆さん飾らないアットホームなおもてなしに徹してくださっていて、心地よい時間を過ごす事が出来ました。気づけばなんと計三時間も長々とお邪魔してしまっていました。(失礼致しました。。。sweat01

くたくたになって帰宅した後は、買ってきた木の器を前に、二人でしみじみ。。。ぬくもりと優しさがある木のうつわ。それに、やっぱり存在感が違うことに驚きました。

本物だけが醸し出すオーラ。圧倒的です。

ぺらんぺらんの偽物の素材でできたぼろマンションの粗が、かえって余計目立って見えたりしてsweat01

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2009-05-20

『私は夢中で夢をみた』

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本当はもっとのんびり更新するつもりでしたが、今朝オリーブの花が咲いているのをみて嬉しくて、朝から更新してしまいました…。

だって可愛いでしょう、この可憐な鈴なりの花♪

小さな花弁には黄色い花粉がいっぱい。花粉症の方にはキビシい画像かもしれませんが、オリーブの木も遅い春を謳歌しています。

いつか実がなるといいんだけど、それは今まで一度もないんです。

もしかしてオスなのかしら。。。

そして

うちの一人息子はといえば。。。

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今日も手ふきタオルを引きずり下ろして絡まってお休み中です。。。gawk

このままでは洗いものも出来ない。。。

それでは、と思案した私flairわさびくるまり用のタオルを用意し、キッチンマットの上においておきました。そんなにここで寝るのが好きなら、先回りして準備を整えてやればいいのだ!と思って。

さて…どうなったと思います??

わさびは、準備した方のタオルには目もくれず、いつも通りタオルハンガーにかけた新しい手ふき用タオルをひきずりおろして、くるまって寝たのです。。。。。。

こりゃ〜〜!!いい加減にしなさいよっannoy

ところで、昨日ご紹介したいと思っていた本のお話。

奈良のくるみの木を運営する「石村由起子さん」の新著、 『私は夢中で夢をみた』 です。

Photo

くるみの木・外観と夫。

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くるみの木の夜ご飯。先日の夫婦奈良旅行で予約していただきました。素晴らしい美味しさ。

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この日のくるみの木でのお土産は、オリジナル梅ジュースと、店内でも使用している質のいい黒塗りのお椀・二客でした。


今や全国からひきもきらずお客さんが押し寄せる、奈良「くるみの木」は、25年前…まだ東京ですらカフェという概念がなかった時代に、奈良の市街地のはずれに石村さんが作ったお店。経営や飲食の事など経験もした事のなかった一人の主婦が、子供の頃に描いた夢を現実のものとするまでの過程が、たんねんに語られています。当時女性が一人でお店を始めるなんて、珍しかった頃のお話。ましてや奈良は保守的な街…。

四面楚歌の中、夫という理解者(石村さんは、心の友。。。心友と呼んでいます。)に支えられ、石村さんは、まいた種が芽吹き、長い時間をかけて大樹となるように、お店を着実に成長させ続けてきました。

読み進むにつれひしひしと感じることは、逆境に抗って女性が夢を叶えるということの困難さ…。でも、どんな辛い目に遭っても、石村さんはくじけずに夢を見つめ続けます。

“人は二種類に分かれるのではないかと思います。夢をみてわくわくしている人と、現実だけみつめている人と。”(本文より)

石村さんにとっては、夢は不可欠なものであり、彼女を動かす原動力だったようです。今でも辛い時には、人知れずひっそりと泣いてしまう事もあるという石村さん。それでも、強靭な意志で、夢をあきらめなかったからこそ、今このお店があり、私たちもそこでお茶をしたり本を読んだり、よいものと出会ったりしながら、石村さんの世界観に身を置く事ができます。

ひとの夢を邪魔するものは、きっとたくさんあるでしょう。よからぬ噂や、人の何気ない言動を含め。そしてそれに押しつぶされそうになることも多いでしょう。

でも夢を諦めないこと。。。最後まで諦めないこと。

それはもはや周囲と自分との間の問題ではなく、自分の内部の、「自分自身との闘い」で勝ち取るものだと、この本は静かに教えてくれています。

自分のこれからの人生のバイブルとして、私もこの本を大事にしていきます。

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2009-02-26

感無量♪

京都・枝魯枝魯の枝國さんの二冊めの本が出たんですね~。昨年暮れにすでに出版されていたのに、気づかず・・・。先日夫から教えられて本屋さんへ飛んでいきました。
なんといっても今回は、お野菜に焦点を当てた本だというので!!

私たち夫婦はそれぞれ違う理由で、軽くベジタリアンbud(お魚は食べます)です。それに、今は無き枝魯枝魯のディープなファンだった私たち。
大変予約困難なお店だったのですが、それもそのはず、夜にたったの3,500円で月替わりのコースが食べられたんです。しかも毎回普通の人間には発想できないメニューのオンパレードだったコースが…。
そんな私たちにとっては、二重に価値ある、願ってもない本だというわけです。
京都木屋町の「ひとしな」には、今フランスから一時帰国中の枝國さんがいらっしゃいます。食べに行きたい!!!でもお金が無い!!shock
ああまた料理を食べつつおしゃべりしたい…。(かなりおもしろい人ですgood全然気取ってません。)

枝國さんはすでに注目の料理人ですので(同い年でこの差は何だろう・・・。)ご存知の方も多いでしょう。
初めて料理をいただいた際、既成概念を打ち破る衝撃の美しさと美味しさに、ハンマーでこーんと頭を打たれたような衝撃を受けました。
ご自身がおっしゃるには、自分の料理をアートにたとえれば、ポップアート。なのだそうです。深く同意です。

いくら料理を食べた感動を文章でお伝えしようとしても…無理です。
機会があったら、ご本人のいらっしゃるお店で、ぜひ食べてみてくださいませ!!
もう、それしか言えません…

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2009-02-09

観てきました。「チェ 39歳 別れの手紙」

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昨日、仕事がお休みの夫と、前売り券で買っておいた「チェ 39歳 別れの手紙」を観に行ってまいりました。
キューバ革命後のチェがどういう運命をたどるのか知ってはいても、やはり映画でリアルに見せられると胸に迫るものがあり、冒頭のカストロ氏が読み上げるゲバラの別れを告げる手紙には、涙を抑えられませんでした。(映画が始まって五分で泣くヤツ・・・私ぐらいでしょうかね・・・。)
カストロ氏の胸中も、さぞ複雑なものだったことと思います。革命に勝利し、新たな国づくりを推し進める中で、本来チェほど共に力を合わせて働きたかった同志はいなかっただろうと思います。

ゲバラの名が革命の闘士として知れ渡ると、米国やCIA、米の傘下の国々は彼の命を付け狙うので、彼はパスポートを偽造し、変装し、たとえ自分の国に帰国し自分の家に帰る機会があっても、愛する子供たちの前でさえ変装し身分を隠したままでいなければなりません。世界中の貧しい人、虐げられている人たちのために、自分の幸福を、欲を捨て、革命に生涯をささげると決めた人のストイックな生き方は、ほとんど私にはキリストやマザーテレサと同じものに思えます。
愛する人々に最後には石を投げられ、罵倒され、十字架にかけられたキリストの最期と、彼の最期もよく似ていると思います。
この映画には描かれていませんが、過去にNHK BS2で放送した、ゲバラが殺されたボリビアの山村「イゲラ村」で、チェの死の間際に会話し、スープを飲ませてあげた村の女性の証言があります。その彼女は、ゲバラが囚われた小学校に入り、軍人の気まぐれでゲバラと特別に対面させてもらったそうです。
そして、ボリビア軍から吹き込まれていたゲバラの印象と、実際のゲバラがまったく違っていることに気づきます。
彼女は当時を思い起こして「私たちは無知だった」とおっしゃっています。

マザーテレサの言った「愛の反対は、憎しみではない。無関心だ」という言葉。
それから、「無知それ自体が罪ではない。無知の無自覚が、罪なのだ」(どなたの言葉か失念していますが・・・。)という言葉。

上映後、涙をぬぐいつつ階下の本屋さんに立ち寄ると、そこで偶然若いカップルが、平積みにされたゲバラ著の文庫本を見ていました。男の子の方が本を指し、「これこれ」というようなことを言うと、女の子の方が「革命の人でしょ。こわ~い。」と言っていました。
私には、その女の子の方が恐い・・・いや、悲しいと思えました。

映画の前編でのゲバラの「革命には、愛が不可欠だ」という言葉の深い意味を、知ってもらいたいなと思います。

気を取り直し、本日のわさび王子のご紹介。くるまっているのは、な、な、なんと・・・私の愛腹巻ちゃんです・・・。(恥)

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2009-01-16

「チェ 28歳の革命」を観る

わさびが撮影中にちょっかいを出してきました。。。「どんな本??ちょっと中身を拝見♪」

チェ・ゲバラ(本名エルネスト・ゲバラ)を取り上げた映画がこのお正月に公開されています。
「チェ 28歳の革命」「チェ 39歳 別れの手紙」の二本でひとつの作品となるのですが、今公開中なのは先の一本だったので、旦那を誘って観にいきました。

この映画は、あらかじめ、その時代の南米を取り巻く状況や、ゲバラ、カストロがどんな思想を持つ人物だったのかについてのある程度の知識が観客にあるだろうことを想定して作られたようで、観る人によっては分かりにくいと感じるかもしれません。(うちの旦那はそうでした。)
映画そのものに関しての評価は、評論家の方々が立派な意見を述べてくれると思っているので、そちらにお任せするとして、個人的には、ゲリラとして革命を成功させるまでに、どれほどの苦労と、又それにより得るものがあったかという面で、勉強になる映画でした。
何より、単純にゲバラのファンである私には、観てよかった映画でした。
映画中で気に入っているのは、ひとつには、世界各国の首脳陣の前での演説シーンです。皮肉とユーモアを交えての、余裕ある、理路整然とした演説は、ゲバラの持ち味のひとつだったようです。
ふたつめは、映画中で「革命に必要なものは何ですか」とのインタビュアーの問いにゲバラの答えた「愛だ」のシーン。ここにゲバラの全てが表れていると私は感じます。

映画を見る前に、昨年出た「ゲバラ 世界を語る」という文庫を買っておいたのですが、この映画を観てますますゲバラに興味を持った私は、毎晩寝る前にお布団の中で、夢中でこの文庫を読み続けています。
この本を読むと、ゲバラの時代も私達の時代も、今も昔も、大国や大金持ちの覇権によって支配される世界の構図は全く変わっていないことに気づきます。今は、その気にさえなれば、誰もが必要な情報を瞬時に手にでき、共有できる時代ですが、昔はそうでなかったわけで、知識に乏しく権力に扇動されやすい人民のために闘い、凶弾に倒れたゲバラの気持ちがどんなものだったのかと思うと、何とも言えない気持ちになります。
ゲバラがもし今生きていたなら、どんな活躍をしたでしょう。
先見の明があり、また、それゆえに時代の先を行き過ぎた人。なくすには惜しすぎる人です。

余談ですが、ボリビアでCIAの命令で殺された時、ボリビアの農民がゲバラの遺体を見るなり、「何てこと、私たちはキリストを殺してしまった!!」と取り乱したのだそうです。確かに、その時のゲバラの写真を見ると、不思議なくらい、キリストのイメージそのままです。

「チェ 39歳 別れの手紙」の方も、近日公開するので、観にいこうと思います。こちらは主演俳優が特にゲバラを好演しているとして評価が高いそうで、それを観られることを楽しみにしています。

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2008-04-17

ドラ・トーザンさんの「パリジェンヌ流 おしゃれな自分革命」

私の日々の習慣の一つに読書があります。最近はビーズ製作に時間を取られてしまっていますが。。。
いつも就寝前に、ベッドに何冊もの本を持ち込み、一時間ほど集中して読んでから眠りにつくのが日課です。
今、読みたい本が何冊も重複していて、どれを優先しようか困っています。そういう時は、読みやすい本から片付けていってしまう私。昨夜は、興味を覚えて手に入れた「サラ・トーザン」さんというフランス人で東京在住のジャーナリストの著書「パリジェンヌ流 おしゃれな自分革命」を読みました。(おしゃれとか、パリジェンヌなどというタイトルに惹かれたわけではないのですが、中身をパラパラ読むと、まるでこの女性、私じゃないかというほど、自分と似ていたので。。。)つい、自己分析も兼ねて、もっと読んでみたくなったのです。

読めば読むほど、私って、典型的な日本人タイプとは違うんだ。。。と再確認しました。
相手が誰だろうと、自分の意見を臆さず主張したり、喜怒哀楽をはっきりと表現したり。
ひととつるむのが嫌いで、一人を好むところも。。。
父も母も生粋の日本人のはずなんですが、少なくとも母が、型にはまった日本人タイプとは対極にいるような人間なので、知らないうちに私もその影響を受けて育ってしまったのかもしれません。また、社会に出てからも、不思議と型にはまらないタイプの日本人とばかり、縁があったように思えます。
かといって、私に全く日本人気質がないかというと、全然そんなことはなく。。。
和を尊ぶ精神はよく理解できますし、相手の気持ちを推し量ることの重要さも分かります。空気を読む、という感覚も、自分の中にちゃんと?存在しています。
ただ、相手の気持ちを推し量りすぎたり、自分が嫌われるのではないかという心配のあまり、相手に何も自分の意見を主張できないというのは、日本人のよくないところ(弱さ)に思えます。

意見の対立は、他人同士なのだから当然のことだと思います。でも、相手を突っぱねて終わるのではなく、コミュニケーションを重ねることによって、最終的に出来る限り互いに理解しあうことが大事だと思います。立場や相性?によっては最後まで相容れない関係で終わることもありますが、それはそれで「仕方ない」と思わなければならないのでしょう。相手に突っぱねられることも受け入れなければ、本当に相手を尊重していることにもなりませんものね。
相手に気に入られようとするあまり、自分の意見を言えないということは、狭い島国の中だけでものを考えられていた時代はよかったのでしょうが、やはり現代においては健全な姿勢とは言えないと思います。
欧米の、世界中どこもかしこも欧米の価値観に染め上げようとする傲慢さ、自分が一番進んでいるのだ、という態度には反発を覚えますが、他国との交流において学ぶべきことだと感じた部分は、素直に取り入れていいと思います。

対極に位置するかのような日本人とフランス人にも、双方の良さがあり、その間でうまくバランスを取れればいいのにな、というのが、読後の一番の感想でした。
しかし、フランス人女性は自立心が旺盛です。強く、しなやかで自由、そこが本当にかっこよく、美しい!
それに、男女の成熟した大人な関係は、ほんとに羨ましいと思いました。
(何せフランス人男性は、女性にかしずいてくれる!!(笑)。たとえ友人でも。)
日本では逆ですからねえ。
日本人のよさ、個性ももちろん否定はしませんが、精神分析的には、やはり日本人はまだ「幼い」と感じました。

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2008-03-08

コスチュームジュエリーの女王・Miriam Haskell

ビーズを再びさわるようになって、以前よりもさらにどっぷりとその世界にはまってしまいつつあるこの頃。。。
今年に入ってから、「Miriam Haskell(ミリアム・ハスケル)」という女性の名を知りました。
コスチュームジュエリーをよくご存知の方なら、説明するまでもない、その世界では有名な女性です。
もっとよく知りたくなって、東京の国分寺市でお店を出しておられる方の著書「渡辺マリのミリアム・ハスケルコレクション」という本を入手しました。(この方は、ハスケルコレクションの日本での第一人者だそうです。)

コスチュームジュエリーとは、CHANELの創始者・ココ・シャネルが初めて世に生みだした、模造石を使った新しいジュエリーのことです。
当時の社会では多くの人々に大変もてはやされ、有名な女優なども舞台でドレスと共に身に着けました。それまでは、美しくてもなかなか手の届かない高価な宝石で作られた装身具ばかりだった宝飾品の世界に、一大センセーションを巻き起こしたのが、コスチュームジュエリーです。(つくづく、ココ・シャネルの凄さを感じます。。。)
宝石を扱う業界からは、「偽物」と一蹴されてきたそうですが、最近になって、日本でもこのコスチュームジュエリーの存在がやっと広まりだし、価値が徐々に上がってきているのだそうです。

偽物と本物の違いは、何でしょう?
私も最近までは、天然石が何より好きでした。色々な理由がありましたが、ひとつは、人工的に作り出されたものでなく、天然のものであったこと。天然でこんな美しい色の石があるなんて…という感動が、一番の理由だったように思います。
でも、調べていくうちに、ルビーやエメラルドなどの五大貴石に含まれる宝石も含め、市場に出回るほとんどの石が、何らかの人為的な処理を施されているということが分かりました。色を美しく出すために、加熱してみたり、染料に浸してみたり、放射線を照射してみたり。
問題は、人為的に処理を施すこと自体ではなく、処理したものを、あたかも天然ものであるかのような扱いで、お客に売る、という行為です。
「そんなこと、常識でしょ。」「騙される方が悪いんだ。」と言わんばかりに。。。(胸を張って言いますが、そんなこと、一般の人は知らなくて当たり前です!)
こういった業界の裏側を知ってからは、「天然石だから本物だ、人工的なガラスは偽物だ」と単純に区別することが出来ないと思いはじめました。と同時に、コスチュームジュエリーと呼ばれる模造石やガラスを使ったジュエリーの世界にも惹かれはじめました。

石の力が魅力の高価なジュエリーに対して、コスチュームジュエリーの武器は、デザインと色使い、素材の組み合わせの美しさにあると感じます。石が強く主張しすぎないので、デザインする人は、ある意味で、自由に思いのままに、集めた素材を存分に使って世界を表現できます。しかも、安価な材料費で。
このコスチュームジュエリーの世界で、ココと並んで名を馳せた伝説の女性が、ミリアム・ハスケルという、ユダヤ系のアメリカ人女性だったそうです。

彼女はデザイン自体を手がけたわけではなく、優秀なプロデューサーだったそうで、彼女が才能を見出したフランク・ヘスという男性デザイナーの手によって、数々の美しいコレクションが生み出されたそうです。
ヘスという人は、同性愛者だったという話があるそうです。この本にもあるように、同性愛者は、美に対する意識が並々ならぬものだと思います。私は、この美しいコレクションたちが、ヘスの才能、美意識の高さを示しているように感じます。
実際にこの本を開いてみると、あまりの美しさに息を呑むほどです。もしこれが本物の宝石だったら、という思いがちらりと頭を掠めますが、コスチュームジュエリーとは、それまでの古い価値観を脱却したいデザイナーたちの挑戦だったのではないかと思います。そして、コスチュームジュエリーの誕生は、ファッションを含む「新しい時代の幕開け」と同時期。シャネルの生きた時代、女性たちが力を発揮し始めた時代です。
なので、本物と比較して云々することには意味を見出せない世界だと、改めて思いました。(念のため。。。ハスケルの作品は、当時の目の肥えていたであろうお金持ちに大変人気があったそうです。)

今、ビーズの雑誌を開くと、ほとんどの現代デザイナーの作品が、デザイン・作り方共にこの時代のコスチュームジュエリー、特にハスケルの影響を強く受けていることが分かります。優れたものは永遠なのだなあと、つくづくため息。

座金にくくりつけたワイヤーの跡を隠すため、同じ座金を裏に重ねています。裏まで完璧。この手法は今多くのビーズ作家が使っています。

シャネルと並んで、ミリアム・ハスケルとフランク・へスのコンビは、きっとこの先も、越えがたい壁として、尊敬と憧れの対象として、ビーダーの前に君臨し続けるのだろうな、と思いました。。。

デザイナーというのは、その時代時代で新しい価値観の提案をしてこそ本物だよなあ、と思います。そういうことが出来る人は、もはやアーティストですよね。

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2008-01-12

「暗み」の魅力

今日は用事で外に出たついでに、本屋さんに立ち寄りました。
良書がないか物色し始めたところ、ピピッとアンテナが立ち、一冊の作品集を発見しました。
またとんでもない本を見つけてしまいました!!
福井利佐さんという切り画家さんの「KI RI GA  RISA FUKUI」。
「切り画家」とは彼女自身が希望する呼び名です。いわゆる切り絵のイメージの持つ温かみとは対照的な作品を作るため、だそうです。

繊細で気の遠くなるような作業の果てに生み出された作品群は、圧倒的な質量感と迫力を持って、見るものに迫ります。
切り絵の有名な作家といえば、滝平二郎さん、藤城清治さんなどがいらっしゃいますが、彼女は幼い頃に彼らの作品に親しみつつも、彼らとも全く違う独自の境地を開いています。
この方の作品世界は、ご自身もおっしゃるとおり、どちらかというと明るいイメージのものではありません。モチーフは、闇の中に浮かび上がる能面や、一輪の菊の花、様々な動物の顔。狐(ネコ科?の動物)が顔に翁の面をかけたインパクトのある作品も。
実在の人をモデルにしたと思われる、笑顔の作品もありますが、その笑顔さえも彼女の手法によって、どこか蔭りを帯びた印象に変わります。人が外に向けて見せる「表の顔」の裏の、別の表情・思いを表現しているように見えます。

この作品集の帯には、彼女の「私は生きている線を描きたい。」という言葉が載っています。
彼女の作り出す作品には全て、暗さと同時に生き生きとした生命力を感じます。とても、これが切り絵だとは思えない表現力。切り絵の新たな世界を開拓した若き作家です。

どうも、私はシンプルで明るいものよりは、こういった「暗み」を感じるモノの方に惹かれるようです。そこに、彼女が言う「生」のようなものがより浮かび上がることを、本能的に感じているのかもしれません。
例えば、能。
蝋燭能や薪能などといった、日本にまだ電灯というものがなかった頃の雰囲気をそのまま味わえる能には、(まだ残念ながら直にこの目で見たことはないのですが)とりわけ惹かれます。
暗闇の中に浮かび上がる増女の白い面はますます白くろうたけて見え、箔を施した衣裳は翻るたびに炎の灯りを受けてちらちらと煌めき、印象を強く脳裏に残します。
能と闇とは、切り離せない関係です。

それから、人間で言うと、歌手、女優の「中島美嘉」さん。
この方は、デビュー当時から、私が密かに好きだった方で、(映画「NANA」は観にいきませんでしたが)この方のイメージもまた、エキセントリックで「蔭」があり、同時に個性が強くインパクトがあります。個人的に、一度見て忘れられない印象の人でした。この方が福井さんと組んで様々な仕事をなさっているとは、今回初めて知りました。彼女も、福井さんの作品を絶賛しています。

さらには、このブログでリンクを貼らせていただいている「rika okubo」さんの写真作品も、似た印象を受けます。闇の扱い方がとても素晴らしい方です。
他にも、私が京都の寺や町家、文化に惹かれて引っ越したことや、骨董品など長い時が刻まれたモノが好きで集めたがるところ、谷崎の「陰影礼讃」を愛読するところも、感性の同じ部分が働いているのかもしれません。

夜になっても明かりの消えない都会で、昼間がずっと続いていくような環境に慣らされてしまって久しい私たちですが、だからこそ反動のようにあえて「暗み」「闇」に興味を持つ人は、実はけっこういらっしゃるのではないでしょうか。
こないだは、ニュースで、都内のあるカフェを取材していましたが、そのカフェは、夜は電気をつけず、蝋燭の灯りをともして楽しんでもらうという趣旨のお店だそうです。
中は若者で満員。お客さんの声を聞くと、「落ち着く」「ほっとする」という意見ばかりでした。

大昔、私達の先祖は、夜になると蝋燭や炎の灯りの下で夜を過ごしていました。闇は恐ろしいものであった(魔物や敵が潜んでいる、という恐怖)と同時に、避けて通れない世界、あえていえば身近な親しいものでもあったに違いないと思います。
闇への恐怖が、昔の人々の想像力をかきたてたという話を聞いたことがあります。霊や妖怪など、目には見えないものへの想像力、畏怖の念も、そこから生まれたものでしょう。
隅々までさんさんと光で照らし出された世界には、人の想像力の入り込む余地がありません。
代わりにあるのは、安心感。でもそこに、「生の実感」があるかと問われれば、そうとも言えないと思います。

生の実感と想像力とは、切り離せないものだと私は感じています。
私が「闇」や「暗み」に惹かれるのは、実生活を営む自分のどこかで、無意識のうちにバランスを取ろうとする思いが働いてのことかもしれません。1200126925_567471 1200126961_568701 1200128507_627001 1200126984_569781 1200126944_568051 1200127001_570461

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